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「44日間の街一街を聞く」   

               

              長田弘道

 

 

 示された現地へ行って諏訪眞理子の作品にすぐさま気付いた人がどれだけいただろうか。知人に「元町石仏に行っても、大臣塚古墳に行っても作品らしきものはない。いぶかしく思いながら、古墳前の坂を下りはじめてやっと見つけた」という人がいた。聞いた限りでは、やはり多くの人が気付くのに時間がかかったようだ。諏訪は何も作品を隠していたわけではない。電信柱に広告看板のように取り付けただけである。恐らく、ただ単に道を歩くのであればすぐさま気付いたであろう。しかし、作品を見に来た訪問者はつい「美術品があるならこんな場所」と思い描いてしまう。諏訪はそんな先入観に揺さぶりをかける。展示場所に驚いた訪問者はその作品を凝視してまた驚く。目を伏せた女性の顔がアップになっているのだ。取り付けられた作品は12枚。その一枚一枚を見て、今度は「あの女性は誰だろう。作品の意味は何であろう。」と思いながら通りを歩いたのではなかろうか。

 「元町石仏から大臣塚古墳までの通り」というサイトは諏訪本人が提案した場所であった。初め示された展示プランは元町石仏のお堂と境内を使うものであったが、その後本プランに変更された。この間、諏訪は何度も現地を訪れ、通りを歩き、元町石仏を訪れる人、生活している人々を観察した。その結果の変更であった。

 

 元町石仏は大分県を代表する石仏であるが、臼杵石仏や熊野磨崖仏などと比べるとお世辞にも観光地とは言い難い。かと言って誰も訪れないわけではない。お堂には毎日、線香と花のお供えが絶えないのだ。それは住んでいる人たちによるものであり、散歩途中に立ち寄る人もいれば、手押し車を押しながらお参りに来る老婆もいる。元町石仏は地元の人々にこよなく愛され、そして静かに守られている仏様なのである。また、石仏周辺は市内の幹線道路国道10号線から70メートルほどしか離れていないにも関わらず、不思議と喧噪とは無縁である。しかし、展覧会期間の44日間、地元住民の平穏な「日常」が溢れた生活空間に「非日常」の人間が足を踏み入れる。諏訪はそんな訪問者に問いかける。「静かに目を閉じてみてください。そして、この街の音を聞いてください。風を感じてください。」と。

作品を見に来た訪問者はまず探すことに夢中となり、案外何も見ていない。

そして、発見と同時に「作品を見る」行為を揺さぶられる。次に女性に導かれるように目を閉じる。すると、どこからか風鈴の音が聞こえてくる。はっとし、初めて作品ではなく周囲の風景自体に目を向け、雰囲気を感じ、街の「日常性」に溶け込んでいくのである。

 

 諏訪は「非日常」の人間として何度か現地を訪れるうち、その「日常」に魅せられていったに違いない。「44日間の街」を見ることは、すなわち諏訪の心の軌跡を辿ることだったのである。

 1959年大分市に生まれた諏訪眞理子は抽象絵画から出発し、1990年代から活動の中心をインスタレーションに置いている。素材は薄鉄板や枯葉、木材、毛糸、ビニールシートなど様々で、本人は「統一性がなくて」と自嘲気味に語るが、そこに諏訪の本質がある。昨年大分市アートプラザでの「空蝉」ではコンクリート剥き出しの楽から鈴を付けた無数の赤い毛糸を垂らし、床に小さな鉄球を散りばめ、剛と柔の対比の中で幻想的な世界を演出した。また、臨海工業地帯にあるSEVEN POINTでの<Skin>では、コンクリートの部屋にビニールシートを垂らし、空気の満たされたコップを置くインスタレーションで、場所が持つ「渇き」を浮き立たせていた。諏訪は素材やコンセプトにこだわり、それに合う場所を選ぶ作家ではない。場所に合わせた素材を選び、その特性を際立たせ、時には否定してみせるのである。今回のインスタレーションもまさに諏訪らしい作品であった。

 最後に一つだけタネをあかそう。作品となった女性は諏訪眞理子その人である。

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