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かよわい暴力
二宮圭一
諏訪さんが年輪を描くと言う。黒っぽい板に白墨みたいなもので線を引く。集中した感じで息を殺して線を引く。板に小さなマイクを貼り付けているらしい。白墨みたいなものが板を擦る音が増幅されてスピーカーから流れる。音を増幅させたのは加藤さん。神妙に幾重にも年輪のような線を引き続ける諏訪さんの後ろでDJみたいな感じで小さな機械を操っている。線が擦れる音を加藤さんも神妙に加工しているのだ。諏訪さんはただ黙って年輪の線を描き、加藤さんがその音に色を与える。それを30人足らずの観客も神妙に見ている。筋書きも結末もない物語を観客も息を殺して見ている。いや、見せられている。意味のないものを小一時間見せられる。これはちょっとした暴力だ。にもかかわらず観客はちょっと満足気だった。
2枚の板が年輪のような線で埋まる間、狭い会場は緊張を共有した。ずっと線が引かれる音なのか加藤さんの音楽かわからない深海のような伽藍堂のような音が流れる。音が止んで、2つの年輪ができた時に緊張は緩んだ。巻き込まれた意味のない時間から解放された。単純な行為を見せられた。無意味な時間を強いられた。
思えば今まで年輪のような線を引いている人を見たことがない。その音を聴いたことがない。生まれて初めての体験を皆でした。意味ばかりが溢れた日常で、無意味で無駄で贅沢な時間を過ごした。こんな暴力なら振るわれても心地よい。
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