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「早くも超えた ~諏訪真理子さんの『旅枕茶会』を見て~」  
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                      二宮圭一


 令和6年の5月4日、諏訪真理子さんが小さなイベントを開催した。会場は僕が借りてい る中山香駅前の旅館跡だった。営業をやめてから10年以上が過ぎたそこは昭和の駅前旅 館そのままの風情を残している。そこで催された諏訪さんの『Tree rings drawing』と題さ れたイベントは、彼女がひたすら木の年輪を描き続けるという不思議なものだった。その数 日後、お父さんが亡くなったそうだ。諏訪さんは、ずいぶん前から目が見えなくなったお父 さんのお世話をしていた。お兄さんやお姉さんも家に帰るなどして世話をしていたようだ が、どうしても同居している諏訪さんに負担はかかる。長く勤めていた公民館もやめて、ほ ぼ毎日家に居たようだ。そんな状況の中で彼女は丁寧に準備を進め、旅館で年輪を描いた。 そして、お父さんを見送って間もない翌月の6月 1 日に同じ旅館跡で『旅枕茶会』を行っ た。これまた奇妙なイベントだった。旅館の玄関に『旅枕茶会』と書かれた札が置かれてい る。二階への階段を昇る。広い座敷がある。天気の良い昼間だったが少し暗い。畳に座る。 床の間には山本閑象さんの作品が幾体も並んでいる。近頃、閑象さんが器の制作とは別に作 り始めた怪しげな、妖怪のような、神様のような得体の知れない人形達が床の間の床に並ん でいる。床の間の壁には諏訪さんが書いたと思われる文字が掲げられている。力の抜けた筆 文字で、『国東の仏を廻って なんとか中山香の駅前旅館に辿りついた』という言葉から文 章は始まる。そして、終わりは『ガラス戸が揺れて 闇の向こうに昼間見た鬼があらわれた 旅枕は もう布団の中にある』という言葉で結ばれる。印象深いのは、半開きになった襖の 向こうの部屋に二組の赤い布団が敷かれていたことだ。その布団は、今では見かけなくなっ た綿布団で、いかにも昭和な感じの花柄だった。艶っぽい感じでもあるし、古い旅館跡の雰 囲気とあいまって懐古的気分にも誘われる。なぜ布団が隣の部屋に敷かれているのかの説 明もないままに、客は閑象さんの妖怪人形の中から好みのものを選び取らされる。やがて運 ばれてきた菓子とお抹茶をいただきながら諏訪さんと閑象さんと談笑する。薄暗い畳の間 での茶会はなかなか愉快なものだったが、その愉快さは、しばし生きながらにして冥界に居 る心地良さではなかったか。旅館の外の商店街は日常である。つまりこの世であり、旅館の 玄関を開け、階段を昇るとあの世の入り口に辿りつくのである。閑象さんの怖くもあるが愛 嬌もある妖怪はあの世へと導く国東の鬼だったのか。


 諏訪さんに初めて会ったのは30年くらい前だと思う。その頃を思うと、諏訪さんはずい ぶんと変わったなあ、と思った。初めて会ったのは彼女の個展会場である。大分市内の画廊 に展示していたのは箱状の形のものに肌色味を帯びた膜が貼ってある作品だったと思う。 とても鋭く繊細な作品で、大分県内に、こんな作家がいたのか!と驚いた記憶がある。イタ リアに長く滞在していたらしく、その経験も十分に反映されていると思えるセンスの良い 展覧会だった。その薄い膜が皮膚だったとするなら、諏訪さんは大分に帰って年月を重ねる ことで皮膚から徐々に体の内部に潜って行った。それは内臓に近づいて行くのではなく、人が持つ記憶に潜って行ったのである。現に彼女は、『膜』からずいぶんと時間が経ってから、 しきりにインタビューを重ねて人々の過去の記憶を集めていたことがある。それが次第に、 個人の記憶を超えて、先祖や、日本人や、人間そのものの記憶を探し始めたのではないか。 自己の内部へ、他人の内部へ、そしてひとまとまりとしての人間の内部へ潜ることへ移行す ると、彼女の作品は30年前の都市的で瀟洒な作品から徐々に土俗的になってきたように 思われる。言ってみれば空中に浮かぶ花から幹を経て根が土の中深くにじわじわと潜り込 むように。


 諏訪さんの家を訪ねたことがある。かなり山深いところで、季節ごとの花々が美しく咲き そうな山里だった。諏訪さんのスマートな造りのスタジオは古い母屋から離れてあったが、 周辺は圧倒的な自然に囲まれていた。彼女のお父さんは庭師だったと聞いたことがある。緑 豊かな庭には大きな石がドンと据えてあった。日本庭園の様式とは無縁な丸みを帯びた自 然石がドンと。そして、お父さんはずいぶんと年を取ってから習い始めたピアノを弾いて見 せてくれた。なにより感心したのは、お父さんの彫刻作品である。木を荒く丸彫りしたそれ は、男が髑髏を引きずっている姿であった。諏訪さんはそんなお父さんが大好きだったに違 いない。だからお父さんを亡くしたばかりで悲しくないはずはないのだが、今回、諏訪さん はすっきりとしているように感じた。


 諏訪さんは、たまたま山里に暮らす両親のもとに生まれたのだと思うのだけれど、たまた ま生地に帰り、濃密な自然の中で両親と時を重ねたことが今回の『旅枕茶会』につながった のではないかと思う。逞しく生きた両親は少しずつ弱くなり、少しずつ老いて行った。それ は全く自然なことだ。自然の中で生と死の境は曖昧だ。ご両親だけでなく、故郷の公民館の 職員として働いていると地元のお年寄りと触れ合うことが多い。そんな暮らしの中で、だん だんと生きている時間と死んでからの時間にはっきりと境界があるのではなく、その境界 はふんわりと幅のあるものだと感じるようになったのかもしれない。あるいは、境界などな いのかもしれないと思うようになったのか。諏訪さんは、早くもこの世とあの世の境界を越 えたのだろうと思う。『旅枕茶会』は、この世からあの世へ少し渡ったような、そのあたり を行ったり来たりしているような場所へ誘ってくれた。さらに現実世界を生きていると思 い込んでいる我々自身がエトランゼであることを少し再認識させてくれた。あの二組の布 団は眠りや夢やあの世への乗り物だったのか。かすかに冥界へ誘われたような気分でいた が、この世とてすでに冥界であるとやさしく諭されたのである。いずれにせよ、『旅枕茶会』 は、我々が生きているからこそ可能な体験だった。


 今年の秋に山香町で芸術祭を開催することになり、諏訪さんにも参加していただくこと になった。六郷満山文化に関心を持ち、すでに文献を紐解き、国東半島の各地を訪れている 諏訪さんに、今日、山香町小谷地区の西明寺を案内した。廃寺になって久しいようだが、かつて西明寺は六郷満山の末寺として栄え、明治時代まで修正鬼会が行われていたという。人 家からずいぶん離れた山中にぽっかりと今も密かにある西明寺。まさにこの世とあの世の 境界のような場で、諏訪さんは何をどう感じたのだろうか?すでに超えたと思われる彼女 にこそ見たことのないものを見せてほしい。         2024.7

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