空蝉あるいは重層化する視線
菅章
異常気象が定番になりつつある酷暑列島の夏は、人々の思考を停止させ、さらに幻想へと変えてしまうほどの猛威を振るった。事実我々は、秋や冬に夏の記憶を辿るとき、凶暴な暑さに支配され忘却の彼方へ消え去った空白の時を思うのである。夏が過ぎ、空蝉状態からようやく立ち直り正気に戻ったはずの我々だが、今度は田のあぜ、土手などに忽然と現れる彼岸花の群生した怪しげな情景に出会い、深紅の鮮やかさと夥しささゆえ、いまだ夢幻の世界を彷っていることを自覚する。彼岸が過ぎて初めて、文字通り「煩悩を脱して、悟りの境地に達する」秋を迎えることができるのである。
今回の諏訪眞理子の新作「空蝉」の会場プランを見たとき、筆者は夏の幻想のエピローグとも言える彼岸花の咲き乱れた光景を無意識のうちに重ねていた。それは色彩、反復、密集、季節などの類似したさまざまな要因にもよるのだが、なににもまして異化作用をひき起こす重層的な空間が織り成す視線の存在に注目したことにほかならない。そのことはいうまでもなく、彼女の資質や今回の展示空間の特殊性と密接な関係がある。
会場のアートプラザ(アートホール)は、周知のようにプロセス・プランニングという思想の基に設計され、66年に大分県立大分図書館として竣工した磯崎新の初期の代表作である。増殖を前提とした図書館は、《成長する建築》のイメージによって、「切断」という手法が採用されることで、外部に突き出た四角柱が内部の梁の延長として構造をも決定している。つまり梁による空間の分節と方向性によって、アートホールは単なるホワイト・キューブ(無機的でニュートラルな箱)などではなく、特殊で存在感のある空間として、画家や影刻家に大いなる難題を突きつけるのである。冒頭で彼岸花の群生の幻想性について隠喩的に述べたが、そこにはもちろん、叙情性や文学性が入り込む余地などない。
諏訪眞理子はこの最も厄介で存在感のある染それ自体に無数の赤い毛糸を垂らし、床すれすれに鈴を付けるというインスタレーションを試みた。それはある種の装置だが、仕掛けそのものの他愛無さとは裏腹に、磯崎の建築空間へのただならぬ侵蝕を成し遂げる。しかしそれは、強烈な空間に対峙するというよりも、マッシブな抵抗感のあるコンクリートの梁に寄生する儚げな繊維の束によって、アートホールの空間それ自体をきわめて批評的に捉える行為である。垂直方向に間断なく吊るされた毛糸は、かすかなモワレや皮膜を形成し、床に癒いた3千個のバチンコ玉と鈴は、観覧者の動きによって移動したり音を出したりする。我々は作品を外から眺めるのでなく、その内部に入り込み視線と空間が交差する場に立ち尽くす。「空蝉」は、現代建築の屋台骨を骨抜きにし、セミのぬけ殻のように、虚脱した空間の状態を演出しているようにも見える。
この方略は「風車の論理」よろしく、場の意識を最大限に生かし展示を成功させているといえよう。
同時に諏訪自身がこれまで抱いてきた視線、位置、動き、双方向性、さらにそれらが重層化し空間の異化作用を引き起こすことができるかといった問題意識や課題の格好の実験場でもあるのだ。
ところで、諏訪の仕事は、金属を使用した素材感のあるインスタレーションやこだわりのある神崇拝的なオブジェを手がける膨刻家という印象が強く、今回の毛糸という脱弱な素材に意外性を感じたかもしれない。それは前回のセブンポイントでの発表における農業用のビニールシートにも現れていた変化だが、そもそも諏訪の視線は素材それ自体や量塊へ向けられているわけではない。諏訪にとって素材は、皮膜と空間がかもす重層的な視線の触媒にすきない。視線は物それ自体でも、空間そのものでもなく、いわば両者の関係や虚実皮膜に潜む我々の意識へと向かう。
そもそも絵画から出発した諏訪は、その初期において、シルクスクリーン用のスキージが特徴的なゲルハルト・リヒターの抽象絵画を思わせる良質なペインティングを描いていた。そこにすでに重層的な絵具と画布の皮膜が潜んでいたし、その後金属板に穴を開け会場に設置したインスタレーションにも、透過性と物質との接点で光と影の心地よい皮膜を顕現させたのであった。このことは、おそらく「空蝉」という文学的なタイトルに隠蔽しつつ暗黙知のうちに、優れて絵画の問題を対象化した諏訪眞理子の一貫した「重層化する視線」にほかならないのである。 2001.
(大分市美術館学芸課長補佐兼学芸係長)