都市の記憶装置としてのアート・サイト
菅章
アート循環系サイト展カタログ
5、歴史の中のサイト、より抜粋
・・・歴史性に関していえば、重要な役割をした作家は意外にも遅く参加要請した作家たちであった。とりわけ諏訪眞理子の参加はこの展覧会のコンセプトを後付けながら完全なものに近づけていった。歴史性の導入によりサイトのゾーニングが決まった時点で、展覧会のコンセプトはほぼ決定したといっていい。しかしながら、サイトと作家の関係、調整がうまくいかなければ、サイトの歴史性と循環というキーコンセプトは不完全なものになるからだ。最後に参加を依頼した諏訪が他の作家と大きく異なっている点は、彼女だけが地元在住作家であることだ。他者性の導入は確かに大分を意外な文脈で捉えなおし、新しい角度から都市の魅力を引き出したが、諏訪だけが地元の視線で大分のサイトについて別の解釈を付したのだ。しかし、それ以上に重要なことは、彼女が元町石仏、大臣塚古墳といった古代のゾーンに興味を示したことであった。大臣塚古墳は諏訪が美術を学んだ大分県立芸術短期大学のすぐ裏手にある遺跡だが、彼女自身全くその存在を知らなかったと言う。それどころか元町石仏もサイト案内したときに訪れたのが初めてだった。諏訪もまた大分に在住する多くの人と同様歴史を意識せずにこの街で暮らしていたことになる。そのことは大分という場所の持つ特性から来ているものであり、過去の上にかぶさった現在という特長のない街の顔を視野に収めつつも、ほとんどその景色を注視することなく、現在性に埋もれていくわれわれがいる。
そこで培われた歴史の存在をまるで意識していないものにとって想像することの意味を突きつけたのが今回の諏訪の原点だといえよう。元町石仏から大臣塚古墳に至る道は、おそらく古代からあった歴史的な道路であり、現在では幹線から外れた生活道路として、機能している。
諏訪が試みたことは日常性と歴史の狭間に卑近な電柱広告看板を設置することであった。自身の目を閉じたモノクロの拡大肖像写真は、日本中どこにでもありそうな電柱に看板という見落としがちな光景だが、それがどんな意味を持っているかはすぐにはわからない。しかし青空にクローズアップされた人の顔が浮かび上がるさまはどう見ても超現実的な風景であり、「目を閉じて耳を澄まして、街の音を聞く」”°という古代の空間にふさわしい瞑想的な姿でもある。この作品が「図」として浮かび上がる瞬間こそ日常とアートのひそやかだが、ラディカルな意識の交換が完了したことに他ならない。と同時に街並みに紛れ静かにたたずみながら歴史と日常が
混沌とした「地」に沈み込んだ元町界隈を批判した諏訪は自身の方法で大分の歴史をも鮮やかな「図」としてよみがえらせたのだといえよう。 2002.