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『ツリーリングス・ドローイング』諏訪眞理子2025(旧玉乃井旅館2階)

玉乃井で久しぶりに諏訪眞理子さんと再会して、パフォーマンスを観る。最近の活動についての予備知識もなかったし、いつもの玉乃井二階の大広間だったので、畳に座ってリラックスした気分でのぞむことができた。諏訪さんの他、音楽家・美術家の調原作さんと舞踏家の松岡涼子さんが共演する。

 

座敷の海側には広い板敷のスペースがあって、その向こうはガラス窓越しに海が広がっている。遠くにはウインドサーフィンをする豆粒のような人たちの姿。逆光でまぶしいくらいだ。

 

板敷の真ん中に机で囲われたブースのような場所があって、諏訪さんが横を向いて椅子に座っている。初めにまな板で野菜を切り始める。その調理の規則正しい音が広間に満たされる。やがて椅子の向きを変えて前を向くと、こんどはテーブルの上で別の作業を始める。手元はよく見えないが、タイトルにあるドローイングのようだ。ドローイングが立てるノイズは、たどたどしく始まり徐々に不規則に音量をあげていく。

 

観客のいる大広間の左手から、女性がゆっくりと現れて、広間から板敷へと移動する。今度は、男性が、右手から登場し、詩を口ずさみながら、ところどころで腰に下げた楽器を打ち鳴らして、観客の前を横切っていく。やがて広間を抜けていくのだが、その間、諏訪さんのドローイングのノイズは痙攣する潮の満ち引きのように鳴り続ける。

 

二人の登場で、広間が一転「演劇」の舞台に変わった。すると、いわば主役だったはずの諏訪さんが舞台の音響や照明のブースの裏方の担当者に役割を変える。諏訪さんが初めから姿勢正しく無表情でいたから、なおのことこの転換には納得がいった。

 

二人の新しい主役は、とても魅力的だった。あとで聞くと、女性の舞踏には、玉乃井での諏訪さんの経験が象徴的に表現されていたらしい。極端に減速された動きはむき出しの身体を露呈させる。一方、男性の側は、どこか風貌も体格も安部文範さんに似ていて、言葉や音楽による喧騒を交えた自己主張は無言の女性とは対照的だ。

 

二人の「演技」が終わると、再び舞台空間は閉じて、ブースの諏訪さんが豆のようなものを仕分けする調理の作業に戻る。調理の心地よい音が広間に満ちて、パフォーマンスは終了した。

 

陽光あふれる玉乃井の大広間を非日常の舞台空間に転換させた手法は鮮やかだが、そこには玉乃井当主の安部さんの影も刻印されていた。一方、非日常が生まれてやがて終息する日常の場面が調理という所作だというのも、玉乃井にはふさわしい。安部さんは何より家事を重んじた人だからだ。

 

パフォーマンスで朗読された散文詩は、2006年の第二回津屋崎現代美術展の関連企画で、僕が諏訪さんに送ったものだ。その後の玉乃井での美術展で、諏訪さんが詩に曲をつけて展示で流してくれたこともある。

 

男性の演者が、広間を出るときに、僕の目の前に詩の原稿をばさりと落とした。歩きながら手持ちの原稿をところどころで落としていくのは演出だったようだが、何も知らない僕は驚かされた。20年の時を経て様々に遍歴した詩編が、僕の手元に帰ってきたように思えたからだ。  松井安彦

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