冬のスイカ
佐藤俊造 さんの絵「地潮」に出会って
諏訪眞理子
木村秀和さんは、俊造さんのスイカの絵を届けてくれた時に、そのスイカの元になった色鉛筆のスケッチも、添えてくれた。一点美術展には、違反してたかもしれない。2点だからね。でも、そのスケッチがあったおかげで、スイカの絵は、私の前でしゃべりだした。喋り出したって言うか、なんか、こう読めるって言った方がいいかな。「読む」…推察するって感じかな。
スケッチとタブローを比べると、一つだけ違うところがある。熟して、自然にはち割れたのだろうスイカの割れた方向が逆になっている。わざわざ、逆にした理由があったのだろうか。そうして、絵を見ていると、不自然な赤いスイカの断面が人の顔に見える。畑の向こうの、淡い水平線が海に見える。西瓜の蔓が上に伸びる。西瓜は水中にあって、風船のようにまるまると膨らんでいる。水中から空中に蔓を伸ばして呼吸している。割れて傍に転がる西瓜は刃物だ。地面には、切られて汁(血)が拡がっている。西瓜の葉が水中の海藻に見える。息苦しいんじゃないだろうか。息がしたいんじゃあないだろうか。細い蔓は天上に伸びる。
展示するのは田舎の公民館なので、地域の人に、ものすごく身近な西瓜の絵を選んだ。木村さんが運んできた絵画は、スケッチの段階では、ありのままのスイカ畑だったものが、ものすごくメッセージ性の強い絵画に変貌していた。
一枚の絵の鑑賞会を開いた。「鑑賞って、絵を見るだけでしょ?」
美術と鑑賞者には、相変わらずものすごく距離があって、私たちがやることは、ここに、まだまだいっぱいあるじゃないかと、つくづく思った一日だった。
※この文章は、2021年2月7日にFBに投稿させて頂いたものです。